寮美千子氏の掲示板に寄せられた文章です。

中村茂樹さんのメール、ここに転載させていただきます。

 いい人でした。愛想笑いは、あまり見たこと無く ガキ大将のように ゲラゲラ笑
う人懐っこい人で、Jazzとタバコとお酒とコーヒー、そして人とまじわる事を仕事と
し、動植物をこよなく愛していた様に思います。
時たま、上目ずかいで相手の心を伺う様に間を取りながら人と接していたように感じ
ました。

 初めて会った時は、バイクで指を壊し、CanCanの仕事も重なり、僕は和光大学を卒
業したものの、何をするでもなく、友人の紹介で男としては未熟な青年期に松崎さん
は接してくれました。
 初対面でコーヒーの入れ方、熱燗の温め方、下北沢での仕入れ先のお店を忙しい
中、案内してもらい
ポテチのよそい方、2〜3日に1度 肉屋で鶏の砂肝を買って隣の屋根に「チャ
チャ」と言う猫と友達にごちそうする様に。 ガスレンジのオーブンの使い方、ココ
アの入れ方など きめ細かに教えてもらいました。

 お客さんは、大人の方が多く、砂漠のオアシスを訪れる旅人ように 深夜に階段を
ギシギシ踏みながら松崎さんに会うが為に訪れました。
 松崎さんは普段カウンターの隅に座り、ウィスキーとか茶色酒をストレートかロッ
クでタバコを くゆらせながら、Wes mongomeryの 「A Day Lafe」なんかを聞きなが
ら、階段を上って来る友を待っていた。
 暇も多かったので、良くダーツゲームで深夜ファイトしました。

 ある晩、いきなりツーリングに行こうと言うことで、2台のバイクは西に向かい
ヘッドライトが闇の山間を照らし、1台は何かに向かって、もう1台は彼のテールラン
プと後姿を追い春先の山道をつるんで走り、明け方富士五湖
近くの富士山の見える山間で止まると、松崎さんは、ここで、生まれ、しばらく こ
こで育った。と言うような話をしてくれました。近くで、昔の500円札の富士山は
 ここからの景色だと教えてくれました。
 それまで、彼のテールランプが見えていたけど、この後しばらくテールランプが見
えない位、彼は一時早く走った。それまで、彼がバックミラーを見ながら走ってくれ
たことを 今、解る様な気がします。

 冬の寒い時に一人で北に何日かバイクを走らせた事もあった。
留守をまかされ、ヘルメットをかぶったままのライダースーツの松崎さんがNeverの
扉を開けると何かホットした。
 
 よく店の事を案じていたのか、電話もくれました。
売り上げより、バイト代の方が掛かってしまうときもありましたが、金庫からバイト
代を取り鍵を掛けて帰るよう
気遣ってもらったり、  取材のお供で神戸に連れて行ってもらい戻った日がクリス
マスイヴだったので近所の肉屋さんで「がらんでん」と言うおいしそうな鳥料理たべ
てみたいって言ったら、売り上げ少ない時に「安い方買ってきて一緒に食べよう」な
んて言う、       2人のイヴも……,

たくさん想いで、いっぱいあります。松崎さんのおかげで沢山の人に会えて、いろ
んな話が聞けました。

 最後に松崎さんと すれちがったのは、暑い夏の日、ヒグラシが鳴く頃、めずらし
く車のクーラーを入れ井の頭道りの環七手前で信号待ちをしてたら、小さめのPick
upで窓に肘を掛け、ランニング姿で肩は汗とホコリに汚れながらも、今日の仕事を終
えた植木屋の棟梁が、お父さんが家に帰る姿で彼の肩が夕陽にひかって、荷台には今
日刈ってきた枝や葉っぱが、いっぱい積まれていた、そんな松崎さんの姿でした。
 
僕は今とても悲しい。
 
 
 寮さん、掲示板お借り出来ましたこと感謝に絶えません。
そして、ありがとう ございます。
                                      
        
PS: 今年は暖冬で庭のスイレンが2つ咲きました。
今は、かみさんと7歳の長女、5歳の長男のお父さんです。

松崎博携帯写真集